シンデレラガールズ
最終25話「シンデレラの舞踏会」の舞台は何と雪降る幕張メッセ。後期に反常務派として戦ってきたメンバー(楓やカリスマたち)も舞台に立ち豪華な顔ぶれ。笑いあり、握手会ありの夢のイベントだ。しかも常務派のクローネのメンバーも加わっている。舞台裏へやって来た常務はまたポエムで攻撃してくるが武内Pはポエムで対抗する。シンデレラガールズは個人活動を各ステージで披露した後、18時から自分たちのステージに上がった。24話でニュージェネレーションズをフィーチャーした回にするのかと思っていたが、卯月に一曲歌わせただけで終わってしまった。
だから最終回「シンデレラの舞踏会」では、ニュージェネレーションズの新曲を回想中心で流し、その後のシンデレラガールズ全体曲に作画の全力を注ぐ形でフィーチャーする格好になった。批判している連中はCGと区別がつかないのではないか。
常務も最後は負けを認める。残り八分のところで一旦冬のライブは終了し、時は経過し春になってからの各人個人の成長を描いている。シンデレラプロジェクト第二期の新メンバーも集まってきた。社長の娘である天敵常務も専務に昇格する。武内Pは手柄を譲った形だろう。
そしてそれまで個人の活動をしていた第一期シンデレラガールズ14人が春のライブで集結して、「お願いシンデレラ」を歌い出すところでおしまい。この曲は第一回で楓ら先輩アイドルが歌っていた曲だ。
大阪のオバタリアンのように、(nosubのコメントを見て)クレーマーが急増殖したが、みんな何か勘違いしているのではないか。人が文句を付けている場合、それに反発するのでなく、同調して攻撃的になる方が楽だから、何も考えず批判的なコメントを垂れ流す。そうなると番組の出来に納得している人間が何も口を挟めなくなる。にわか右翼は増えていくものだ。
常務のポエムは要らないなど的外れな要望、クレームが多すぎる。脚本の流れを無視してそんなことをするのは間違っている。回想、静止画が多いとか不満をぶつけるのも間違っている。限られた工数で一週間延長してもCGでないのだからこの程度である。その点はCG中心のダンスシーンの「ラブライブ」とは違う。それ以上のものは、年末まで放送を待つか、いっそのこと劇場用映画でないと上映できない。そんな常識もわからないのか。アニメスタジオアニメ「SHIROBAKO」がヒットしてそれぐらい広く浸透したと思ったのだが、それを見なかった年齢層にまでモバマスが広がっていたため、バンダイナムコにさんざん金を搾り取られた連中がはけ口に不満をぶつけてきたのだろう。
出演者数は確かに多すぎたと思う。しかし定期ライブを勝る人数が出演しているのだから、常務に武内Pが力の差を見せつけた形になっている。また確かに25回の一回に詰め込みすぎだった。春の成長ぶりは26話でまとめて欲しかった。それもOVA26話の脚本が進んでいる状態では、もはやそこまで織り込めなかったのだろう。本当は14回から22回までの1回ぐらい省略できるはずだったのだ。蘭子を後期に結局フィーチャーできずに終わったが、いつの間にか彼女はチームプレーを覚えて成長してしまった。これを14回あたりで一回分に昇格しても良かったと思う。
今後はBDの売れ行きにかかっている。当然周りの意見を自分の意見だと勘違い(同化されている)しているクレーマーは買うまい。OVA26話は水着か温泉回だと思う。この売れ行き次第だろう。それによってはたとえば「765プロ対346プロの仁義なき戦い」として劇場版上映が二年後にあってもおかしくはない。
蒼穹のファフナーEXODUS
負傷したオルガを載せた飛行機と警護の二機は竜宮島に近づく。しかし島が結界を消した途端、フェストゥムが突然現れ、攻撃する。島からも仰撃するが、オルガらを載せた三機を撃墜して消える。オルガは死の直前にダッカでの戦闘データを送ってきた。
第二次L計画にこだわる鏑木早苗は息子と口論するがそこへ突然ワープしてきた西尾里奈にまで集団自殺する気かと問い詰められる。西尾里奈はその後同化現象の一つである睡眠に入ってしまう。
未来予知能力が目覚めつつあるカノンは織姫に尋ねるが「未来と戦え」と言われる。そこでファフナーにのって未来を経験するテストをしてみた。その結果で未来で戦うと未来が変わってくることを知る。機体から降りると機体が変わっていた。
カノンの未来予知が働きそうだ。一方でまだL計画に拘る連中が希望を失ったPTAには多くいそう。どちらが先に有効になるか?