後方のアレーヌ市がレジスタンスによって奪回され帝国軍の補給路が断たれた。そこで帝国軍上層部は一般市民を巻き込む市街戦を実行する。これには味方からも批判はあったが、命令には従うしかなかった。
帝国軍は巧みに戦争法の抜け穴を利用して市民の虐殺を正当化する。そしてこの作戦の元になった論文の執筆者がターニャだったいうオチ。今後、ターニャは終戦に向けての他役に任ぜられる。
一方、アンソンはフィヨルドに落ちたあと、味方に拾われて生きていた。どうやら彼がターニャの前に立ちはだかりそう。
今回は日本にしろドイツにしろ侵略した側が市民を虐殺したのか、された側が民間人を盾にしたのかで言い分が変わる難しい問題だ。深入りしたらやばそうだ。